天風に魅せられて

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願い事あらば 過去完了形で思えよ 

願い事がある時は“既に願い
事が叶った、ありがとうございます”という精神状態で、過去完
了形で思うようにとの意味が込められていると思われます。

まずは、既にすべて与えられていることに感謝する、どうし
ても願い事がある時は、感謝の気持ちを込めて過去完了形で
思うことが肝心のようですね。



修業とは周りに幸せを与えること 

「修業とは、お経を読んだり、滝に打たれることではないですよ。そんな時間があったら、1分でも1秒でもいいから、周りの人に喜びを与えることですよ」

この世で起こることはすべて必然であり、偶然はひとつもない

「はじめにことば(言霊)ありき」で、その人が発する言葉が、
その人の思いとなって、その人の運命を決定しているようで
す。はじめに「私ほど倖な者はない」という言葉があって、その
後に「ありがとうございます」が続いて、そして、これがワンセッ
トになって人生はどんどん良循環するのではないかと思われ
ます。
「私ほど倖な者はないと思うこと、そう
すればどんどん幸せがやってきます・・・・」

一箇所に集中する

“一所懸命”で、自分のすべきことだけをやる。

子供に対し

て、勉強しなさいとは言わず、ちゃんと勉強ができるいい子だと
思っているだけで、そのエネルギーが子供に良い影響を与え
る。

◇合掌をすると脳波が下がり、自分の発生した
エネルギーが手のひらを通して体を循環します。
合掌は脳波を下げるのにとてもいい方法です。
自分の中にいる神仏の力を有効に使えば、
十倍百倍の力がでます。

 政木先生

 

 

 


「人あっての自分」 

もしも、いささかたりとも、報償を本位とするというがごとき、凡俗同様の卑しむべき心持ちが発生したなら、そのときは「箱根山 駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」という古諺を思い出すがよい。
さ すれば、この世の中に活きるのは、いかに偉くなっても、自分一人で生きられるべきものではなく、人あっての自分、自分あっての人ということが、即座に直感 され、その直感が良心に感応すれば、報償を超越した責務感となり、さらに当然の帰結で、その責務感がまごころとなって発露する。

「人間の心の大きさ」 

真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさである。
月を見て佇めば、心は見つめられている月よりも、さらに大きいということを考えられはしないか。星を見て考えている心の中は、大きなものを相手に考えているんだから、それだけで、星以上に大きなものではないか。
星を見て、その星よりもさらに洪大な様子を心は想像できる、という簡単なことを考えただけでも、いかに人の心が一切をしのいで広大であるか、ということがわかってくるはずだ。

「『まごころ』の尊さ」 

ちょっと一杯の茶を出すのでも、「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、そのとき、何の報償をも念頭に置かず、すなわちその人に気に入られようとか、 あるいは、好感をもたせようとかいうような気持ちでなく、そこに一点何の求むるものなき、純一無雑な「心」で、それが行われるとき、その行為から、形容の できない温かいものを感じる。それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。
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